天皇陛下の記者会見
記 平成30年12月20日
皇居宮殿 石橋の間
宮内記者会代表質問
問 天皇陛下として迎えられる最後の誕生日となりました。陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え,皇室は新たな世代が担っていくこととなります。現在のご心境とともに,いま国民に伝えたいことをお聞かせ下さい。
天皇陛下お言葉
この1年を振り返るとき,例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨,地震,そして台風などによって多くの人の命が落とされ,また,それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り,また,後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが,自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに,被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。
ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは,昭和34年,昭和天皇の名代として,伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。
今年も暮れようとしており,来年春の私の譲位の日も近づいてきています。
私は即位以来,日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い,今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで,引き続きその在り方を求めながら,日々の務めを行っていきたいと思います。
第二次世界大戦後の国際社会は,東西の冷戦構造の下にありましたが,平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ,冷戦は終焉を迎え,これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは,必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し,また,テロにより多くの犠牲者が生まれ,さらには,多数の難民が苦難の日々を送っていることに,心が痛みます。
以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え,昭和27年,18歳の時に成年式,次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し,日本は国際社会への復帰を遂げ,次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年,英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し,その前後,半年余りにわたり諸外国を訪問しました。それから65年の歳月が流れ,国民皆の努力によって,我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め,平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が,昭和43年に小笠原諸島の復帰が,そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は,先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め,私は皇后と共に11回訪問を重ね,その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは,これからも変わることはありません。
そうした中で平成の時代に入り,戦後50年,60年,70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ,また,我が国の戦後の平和と繁栄が,このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず,戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに,心から安堵しています。
そして,戦後60年にサイパン島を,戦後70年にパラオのペリリュー島を,更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。
次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火,平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり,平成7年の阪神・淡路大震災,平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり,多くの人命が失われ,数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ,その中で,人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ,防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また,災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には,いつも心を打たれています。
障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも,私どもの大切な務めと思い,過ごしてきました。障害者のスポーツは,ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが,それを越えて,障害者自身がスポーツを楽しみ,さらに,それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め,国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を,皆が楽しんでいることを感慨深く思います。
今年,我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間,多くの日本人は,赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね,その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら,各国を訪れた際には,できる限り会う機会を持ってきました。そして近年,多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も,将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら,それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ,各国から我が国に来て仕事をする人々を,社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また,外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め,各国との親善友好関係が進むことを願っています。
明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は,常に私と歩みを共にし,私の考えを理解し,私の立場と務めを支えてきてくれました。また,昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし,愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば,私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく,現在の皇后と出会い,深い信頼の下,同伴を求め,爾来この伴侶と共に,これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今,私はこれまで,象徴としての私の立場を受け入れ,私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに,自らも国民の一人であった皇后が,私の人生の旅に加わり,60年という長い年月,皇室と国民の双方への献身を,真心を持って果たしてきたことを,心から労いたく思います。
そして,来年春に私は譲位し,新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において,天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており,皇室の伝統を引き継ぎながら,日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。
今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。
天皇陛下 記者会見映像
この一年のご動静
天皇陛下には,本日,満85歳のお誕生日をお迎えになりました。
陛下は,この1年,国事行為に関して,最高裁判所長官の親任式,国務大臣14名を始め,副大臣22名,大使40名を含む98名の認証官任命式,新任外国大使40名の信任状捧呈式,大綬章36名,文化勲章5名の親授式に臨まれたほか,内閣から上奏のあった940件の書類にご署名と押印をなさいました。また,宮殿や御所では,文化勲章受章者及び文化功労者,勲章・褒章受章者や各種の表彰受賞者,農林水産祭天皇杯受賞者,各種大臣表彰受賞者,人事院総裁賞受賞者,日本芸術院会員,日本学士院会員,新認定重要無形文化財保持者夫妻,シニア海外ボランティア及び日系社会シニアボランティア,青年海外協力隊帰国隊員及び日系社会青年ボランティアの代表,昭和34年の両陛下のご成婚を記念してハワイ在住日系人等が中心となって創設した皇太子明仁親王奨学金の奨学生にお会いになり,その労をねぎらわれ,栄誉を祝されました。その回数は75回を数えました。
このほか,外務省総合外交政策局長等からのご進講を10回,行幸啓や行事に関するご説明を37回お受けになったほか,皇居勤労奉仕団延べ11,672人に67回にわたってお会いになりました。
台風や豪雨等の風水害を始め,地震,火山噴火等の自然災害が多かったこの1年も,皇后さまと共に被災地を度々お見舞いになって被災者に寄り添われるとともに,犠牲者を悼まれ,遺族を慰められました。7月に発生した西日本豪雨災害では,多数の死傷者,避難者が発生した広島県,愛媛県及び岡山県の知事に対し,侍従長を通じて犠牲者に対するお悼みと被災者へのお見舞い,災害対策に従事する関係者へのお労いのお気持ちをお伝えになり,9月に岡山県,愛媛県及び広島県の被災地を2度に分けて日帰りでお見舞いになりました。また,同月に発生した北海道胆振東部地震では,地震発生の翌日,同様に侍従長を通じて北海道知事にお見舞いと関係者へお労いのお気持ちをお伝えになり,11月に被災地を日帰りでお見舞いになりました。
この他の地方へのお出ましは,いずれも皇后さまとご一緒に,3月には,来年のご譲位を前に沖縄県に11回目のご訪問をなさいました。沖縄平和祈念堂をご拝礼になった後,国立沖縄戦没者墓苑でご供花,ご拝礼になり,翌日には沖縄本島から日帰りで与那国島へご移動。与那国馬,世界最大級の蛾ヨナグニサン,伝統芸能「棒踊り」,西崎にある日本最西端の碑をご覧,与那国町漁業協同組合をご視察の後,最終日に沖縄空手会館で空手演武をご覧になりました。6月には,2泊3日で福島県南相馬市で開催された第69回全国植樹祭にご臨場になり,その折に福島県復興公営住宅の北好間団地居住者等とご懇談,全町民に避難指示が出されていた広野町と楢葉町の町長,議長,町民代表者とお会いになり,雫集落センターで慰霊碑に拝礼されました。3日目は悪天候の中,相馬市東日本大震災慰霊碑にご供花,相馬市原釜地方卸売市場,古関裕而記念館をご視察。3日間の県内のお車での移動距離は約280kmになりました。8月には北海道をご訪問。北海道150年記念式典にご臨席になり,知的障害者などが就労する農福連携農園をご視察。2日目に日帰りでご訪問になった利尻島では,利尻町ウニ種苗生産センター,オタトマリ沼をご視察,二石海岸をご散策になりました。9月には第73回国民体育大会ご臨場のため福井県をご訪問。福井県教育総合研究所教育博物館ご視察,式典演技ご覧,開会式ご臨席のご日程をお済ませになりましたが,大型で非常に強い台風24号の接近に地元自治体や警察が十分に備えることのできるよう,役員懇談会ご臨席,フェンシング競技ご覧等のご日程を取りやめてご帰京になりました。10月には,第38回全国豊かな海づくり大会にご臨席のため高知県をご訪問になり,高知県立林業大学校,高知大学海洋コア総合研究センターをご視察になりました。
5年前から始められた私的ご旅行では11月に静岡県をご訪問。掛川市にある創立50周年を迎えた日本初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」をお訪ねになり,生徒・入所者の絵画作品とダンスをご覧になったほか,袋井市の常林寺では,昨年3月の両陛下ベトナム国ご訪問時にその記念館をご視察になったベトナム独立運動指導者ファン・ボイ・チャウが日本滞在中の支援に感謝して建立した「浅羽佐喜太郎公紀念碑」をご視察,近藤記念館では同碑の「建立100年特別展」を,隣接する袋井市郷土資料館では常設展をご覧,浜松市外国人学習支援センターでは,外国人向け日本語教室と日本語学習支援ボランティア養成講座の授業をご視察になった後,浜松市楽器博物館をご視察になりました。このご旅行は7月に予定されていましたが,直前に発生した西日本豪雨のため延期となっていました。
ご静養として,2月と6月に両陛下で葉山御用邸に短期間お過ごしになりました。7月には那須御用邸でお過ごしになるご予定でしたが,西日本豪雨が発生したためお取りやめになりました。8月下旬には例年どおり長野県軽井沢町,群馬県草津町でお過ごしになりました。私的ご旅行を含む地方へのお出ましは,ご静養のための御用邸等へのお出ましを除き,1道8県25市5町でした。
都内の行幸啓では,毎年恒例の全国戦没者追悼式,日本国際賞授賞式及び祝宴,みどりの式典及びレセプション,日本芸術院授賞式,日本学士院授賞式,国際生物学賞授賞式にお出ましになったほか,自治体消防制度70周年記念式典,海上保安制度創設70周年記念式典,国際会議の一つである国際生産工学アカデミー第68回総会開会式及びレセプション,サラマンカ大学創立800周年記念 日本サラマンカ大学友の会設立20周年記念「お祝いと感謝の集い」,高松宮殿下記念世界文化賞30周年記念レセプション,社会保険労務士制度創設50周年記念式典にご臨席になりました。また,来日中のスウェーデン国国王陛下及び王妃陛下とご一緒に日本・スウェーデン外交関係樹立150周年記念特別展示「ルドベック・リンネ・ツュンベルク-ウプサラ博物学三代の遺産より」をご覧,国賓として来日されたベトナム国主席閣下及び令夫人とご一緒にベトナム日本外交関係樹立45周年記念レセプションにご臨席になりました。このほか,「ポーランド独立回復100周年記念公演ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団ニューイヤー・コンサート」,「歌舞伎座百三十年「二月大歌舞伎」壽三代歌舞伎賑木挽町芝居前」,「東日本大震災復興支援チャリティコンサートクラシック・エイド」,「鈴木鎮一生誕120周年記念 第54回スズキ・メソードグランドコンサート」,「映画「羊と鋼の森」特別試写会」,「楽団創立100周年記念 クリーヴランド管弦楽団日本公演」,「小児がん征圧キャンペーン・チャリティーコンサート」,「日越外交関係樹立45周年記念ベトナム国立交響楽団日本公演」,「ドイツ・グラモフォン創立120周年ガラコンサート」,「Ay曽根崎心中」をご鑑賞,「企画展『キンダーブックの90年-童画と童謡でたどる子どもたちの世界-』」,「学校法人桜美林学園創立100周年記念 日中平和友好条約締結40周年記念「愛新覚羅一族の書画作品展」」,「生誕150年 横山大観展」,「ターナー風景の詩」展,「第70回毎日書道展」,「六本木ヒルズ・森美術館15周年記念展『建築の日本展~その遺伝子のもたらすもの』」,「明治維新150年記念特別展『明治日本が見た世界~巨大壁画でたどる日本開国史~』」,「にっぽん-大使たちの視線 写真展」をご覧になり,12月には障害者週間にちなんでこれまで長いお関わりのあった日本初の知的障害児施設である社会福祉法人滝乃川学園をお訪ねになりました。
陛下お一方では,1月と10月に国会開会式にご臨席,6月に恒例の企業ご訪問として株式会社浜野製作所をご視察,10月に2018年度日本魚類学会年会(50周年記念大会)及び懇親会にご出席になりました。なお,第20回日本太鼓全国障害者大会も両陛下でご臨席の予定でしたが,皇后さまに咳を伴う風邪の症状がおありであったため,陛下がお一方でご臨席になりました。
また,皇居内の行事として,三の丸尚蔵館で皇后さまが御養蚕でお育てになった小石丸の繭を使用し復元,修理の完成を記念した「春日権現験記絵-甦った鎌倉絵巻の名品-」展をご覧,春季雅楽演奏会をご鑑賞,果樹古品種(ワリンゴ)をご摘果,古式馬術「打毬」をご覧になったほか,皇居東御苑の二の丸池にヒレナガニシキゴイをご放流になりました。ヒレナガニシキゴイは,陛下のお考えでインドネシアのヒレナガコイと日本のニシキゴイを掛け合わせて誕生したもので,これまで平成3年と平成24年に同池へご放流になりましたが,来年のご譲位前にもう少しその数を増やして来園者が楽しめるようにしたいとの陛下のお考えで,11月に両陛下でご放流になりました。これらを含め都内へのお出ましは47回でした。
外国との関係では,5月にベトナム国主席閣下及び令夫人を国賓としてお迎えになり,歓迎行事,ご会見,宮中晩餐を催されたほか,お別れのご挨拶をなさるためご宿舎の迎賓館赤坂離宮をお訪ねになりました。国賓以外のご接遇では,基本的に,先方がご夫妻の場合は両陛下で,ご単身の場合は陛下がお一方でお会いになります。ドイツ国大統領閣下及び令夫人,チリ国大統領閣下,スリランカ国大統領閣下及び令夫人,エクアドル国大統領閣下及び令夫人,タジキスタン国大統領閣下,ブルキナファソ国大統領閣下及び令夫人,ガーナ国大統領閣下,ザンビア国大統領閣下とご会見になりました。また,モザンビーク国国民議会議長夫妻,スリランカ国国会議長,クウェート国国民議会議長,ブラジル国上院議長夫妻,オーストラリア国下院議長,中華人民共和国国務院総理,サモア国首相夫妻,フランス国国民議会議長夫妻,ブルガリア国国民議会議長をご引見になりました。さらに,タイ国王女チュラポン殿下,マレーシア国首相夫妻,ヨルダン国国王陛下及び王妃陛下並びに王族オマル殿下を御所でのご昼餐に,スウェーデン国国王陛下及び王妃陛下を御所でのご夕餐に,デンマーク国王女ベネディクテ殿下,サラマンカ大学総長,赤十字国際委員会総裁を御所でのお茶にそれぞれお招きになりました。
宮殿では5月に第8回太平洋・島サミット首脳会議に出席する各国首脳夫妻等の茶会を,10月に第10回日本・メコン地域諸国首脳会議に出席する各国首脳等の茶会を催されました。
在京外交団とは,この1年間に着任後間もない38か国1組織の大使夫妻を3か国・組織ずつに分けてお茶に,着任後3年を経過した12か国の大使夫妻を4か国ずつ午餐にお招きになり,離任する24か国1組織の大使又は大使夫妻を各国ごとにご引見になりました。日本から赴任する36か国と1組織の大使夫妻にも出発前にお会いになり,帰国した30か国と1組織の大使夫妻をお茶に招いて任地の様子をお聴きになりました。
宮中祭祀については,恒例の祭祀に23回お出ましになり,天長祭及び歳旦祭はご代拝とされました。また,ご高齢のため出御が案じられている新嘗祭神嘉殿の儀については昨年同様,夕の儀はお出ましの時間を短縮して出御され,暁の儀はご健康への影響を考慮して,儀式終了までの間,御所でお慎みになりました。
今年も例年どおり,皇居内生物学研究所の一画で種籾のお手まき,お田植えをなさり,お手刈りをなさいました。また,これとは別に,陸稲と粟をお子様及びお孫様方とご一緒に種をまかれ,刈り取られました。粟は新嘗祭の折にお手刈りになった水稲と共にその一部をお供えになりました。神嘗祭に際しては,お手植えになった根付きの稲を神宮にお供えになりました。
ご健康面では,7月に脳貧血によるめまいと吐き気のご症状から,数日間お住まいの御所でご静養になりました。この間に予定されていた,絢子女王殿下ご婚約内定についての高円宮妃殿下及び絢子女王殿下のご挨拶は皇后さまがお一方でお受けになり,陛下のお祝いのお気持ちをお伝えしました。また,在京大使夫妻午餐は皇太子殿下が代行なさいました。