習慣・風習

節分 豆まきの豆の種類と今年の恵方|2月3日

節分

大本山成田山新勝寺の成田山節分会

 

今年の恵方

2月3日は、季節の分かれ目「節分」。

2023年(令和5年)の恵方は、南南東。

 

恵方 方角 西暦換算
きのえ 寅卯の間、甲の方位 およそ東北東 下一桁が4の年
きのと 申酉の間、庚の方位 およそ西南西 下一桁が5の年
ひのえ 巳午の間、丙の方位 およそ南南東 下一桁が6の年
ひのと 亥子の間、壬の方位 およそ北北西 下一桁が7の年
つちのえ 巳午の間、丙の方位 およそ南南東 下一桁が8の年
つちのと 寅卯の間、甲の方位 およそ東北東 下一桁が9の年
かのえ 申酉の間、庚の方位 およそ西南西 下一桁が0の年
かのと 巳午の間、丙の方位 およそ南南東 下一桁が1の年
みずのえ 亥子の間、壬の方位 およそ北北西 下一桁が2の年
みずのと 巳午の間、丙の方位 およそ南南東 下一桁が3の年

恵方の方角は、「東北東」(甲の方角⇒東北東微東/75度)、「西南西」(庚の方角⇒西南西微西/255度)、「南南東」(丙の方角⇒南南東微南/165度)、「北北西」(壬の方角⇒北北西微北/345度)の四方しかありません。その四方と暦を構成する十干を組み合わせることで、その年の恵方が決まります。

十干は10の周期で回るので、西暦の下一桁によって恵方を知ることもできます。
西暦の下一桁が0・5……西南西(正しくは西南西微西)
西暦の下一桁が1・3・6・8……南南東(正しくは南南東微南)
西暦の下一桁が2・7……北北西(正しくは北北西微北)
西暦の下一桁が4・9……東北東(正しくは東北東微東)

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節分

節分(せつぶん、せちぶん)は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。

節分とは「季節を分ける」ことも意味している。

江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。

太陰太陽暦(旧暦)では、立春に最も近い新月を元日とし、月(太陰)の満ち欠けを基準(月切)にした元日(旧正月)と、太陽黄経を基準(節切)にした立春は、ともに新年ととらえられていた。

したがって、旧暦12月末日(大晦日)と立春前日の節分は、ともに年越しの日と意識されていたことになる。

今も節分を「年越し」「年取り」と呼ぶ地域があるのはこの名残である。

 

豆まき

一般的には「鬼は外、福は内」と声を出しながら福豆(煎り大豆)を撒いて、年齢の数だけ(もしくは1つ多く)豆を食べる厄除けを行う。

また、玄関などに邪気除けの柊鰯などを飾る。

これらは、地方や神社などによって異なる。

 

節分の日

一般には毎年2月3日であるが常にそうではなく、1984年までは4年に1度の閏年に2月4日だった。

1985年から2020年までは2月3日だったが、2021年から閏年の翌年は2月2日になる。

グレゴリオ暦での最初の節分となった1873年から22世紀初頭までの具体的な日付は表のようになる。数十年のスケールで徐々に前倒しになってくるが、4で割り切れても閏年とならない1900年、2100年、2200年…の翌年に1日遅れて帳消しとなる。

立春の前日であり、立春は太陽黄経が315度となる日である。このように、間接的に天体の運行に基づいているので、日付は年によって異なり、また未来の日付は軌道計算に基づく予測しかできない。

なお厳密には、基準とする標準時によっても異なるが、日本以外では祝う風習がないので、旧正月のように国による日付の違いが話題となることはない。

 

 

地方による豆まきの豆の違い

一般的に、関東や関西の多くの地域では炒った「大豆」を掛け声とともにまく。

北海道・東北・信越地方・落花生の産地である南九州の一部などでは「落花生」をまく。これは、雪の多い地域では、雪の上でも見つけやすく、まいた後に拾い集めて皮をむいて食べることができることからと考えられ、諸説あるとされる。

 

節分の豆はどっち?北は落花生、東西は大豆

節分

節分の豆はどっち?北は落花生、東西は大豆

 

豆まきの掛け声

一般的には、「鬼は外、福は内」。

京都府大原神社などでは、「鬼は内、福は外」。

群馬県藤岡市鬼石などでは、「鬼は内、福は内」。

浅草寺、成田山新勝寺などでは、「福は内」。

※「鬼」が祀られる社寺、名字に鬼が含まれる家などでは、「福は内」だけとする風習がみられる。

 

 

恵方巻

恵方巻、恵方巻き(えほうまき)とは、節分に恵方を向いて無言で食べると良いとされる巻き寿司のこと。

商都大阪発祥の風習と言われているが、その起源の定説は未だ存在せず不明な点が多い。

現在は「節分の夜に、恵方に向かって願い事を思い浮かべながら丸かじり(丸かぶり)し、言葉を発せずに最後まで食べきると願い事がかなう」とされる。

「目を閉じて食べる」、あるいは「笑いながら食べる」という人もおり、これは様々である。

また太巻きではなく「中細巻」や「手巻き寿司」を食べる人もいる。

近畿地方の表現である「丸かぶり」という言葉から、元々は商売繁盛家内安全を願うものではなかった、との考察もある。民俗学において、フォークロリズムに関する研究題目として扱われる事がある。その他には「幸運巻寿司」「恵方寿司」「招福巻」などとも呼ぶ。

1998年頃から全国へ広がり、2000年代以降に急速に広まったと言われるが、それ以前に「恵方巻」と呼ばれていたという文献類は見つかってない。

現代人における年中行事と見出される意味 : 恵方巻を事例として(<特集2>現代社会と民俗)

 

 

成田山新勝寺の節分会

成田山節分会

 

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