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第53回青梅マラソン 大会概要と交通規制 2019年2月17日開催

2019/02/07

第53回青梅マラソン

http://www.ohme-marathon.jp/

 

第53回青梅マラソン 大会概要

開催日 2019年2月17日(日)
コース
  • 30km[青梅マラソン日本陸連公認コース]
    東青梅4丁目→川井(折り返し)→青梅市総合体育館前
  • 10km[青梅マラソン日本陸連公認コース]
    東青梅4丁目→日向和田(折り返し)→青梅市役所前
スタート 30km…11時30分
10km…9時30分
競技終了時間 30km…15時30分
10km…10時50分
定員 1万9000人
30km…1万5000人
10km…4000人
種目
30キロの部
男女共に満18歳以上

  • 男子40歳未満
  • 女子40歳未満
  • 男子40歳代
  • 女子40歳代
  • 男子50歳代
  • 女子50歳代
  • 男子60歳以上
  • 女子60歳以上
10キロの部
  • 男子高校生
  • 女子高校生
  • 男子40歳代
  • 女子40歳未満
  • 男子50歳代
  • 女子40歳代
  • 男子60歳代
  • 女子50歳代
  • 男子70歳以上
  • 女子60歳以上
表彰
30キロの部
総合1位~6位(陸連登録者対象)
40歳代以上の各部門1位~6位
10キロの部
各部門1位~6位

 

 

交通規制の実施

規制日時

平成31年2月17日(日曜)

午前6時00分から午後4時00分までの間

 

規制区間

■奥多摩街道 河辺交差点から勝沼交差点まで

■青梅街道 勝沼交差点から古里駅前交差点まで

 

交通規制内容

車両通行止め

  • 選手の通過時には、交通規制が行われます。
  • 当日の車両利用は、ご遠慮ください。
  • やむを得ず、車両を利用される場合は、吉野街道等の迂回路をご利用ください。
  • 交通規制・迂回については、現場警察官の指示に従ってください。

 

交通規制図

第53回青梅マラソン

 

 

青梅マラソン 第1回は1967年

第1回は1967年3月5日に開かれた。1964年東京オリンピックの銅メダリスト円谷幸吉が参加したことから、キャッチコピーを「円谷選手と走ろう」としていた(しかし円谷の自殺による急逝(翌1968年1月)で、このキャッチコピーは第1回限りとなってしまった)。当時、一般市民が参加可能なマラソンレースは日本国内にはなく、著名なアスリートと一緒にレースに参加できる大規模な大会として有名になり、今日に渡って全国から参加者が集まる市民マラソン大会となった。2006年までは2月第3日曜日の開催で親しまれたイベントであったが、2007年と2008年では同日に東京マラソンが開催されることになったため、2月第1日曜日に日程が前倒しされた。2009年は、東京マラソンの日程変更に伴い従来の開催日である2月の第3日曜日、2月15日に開催された。2010年以降は、従来通りの2月第3日曜日に開催されている。

例年、全種目合わせて約1万3000人(2006年以降約1万6000人)が参加し、沿道には約5万人が観戦している。オリンピックや箱根駅伝、国際レースで活躍するアスリートが出場することから、沿道からたくさんの声援を送られる。また、市民ランナーにも暖かい声援が30kmコース全域で聞こえることから、アットホームな市民マラソンレースとして有名である。また、多摩ケーブルネットワークで中継されている。

1991年の第25回大会では大会イメージソング「春呼ぶ祭典(まつり)」が作られ[1]、歌手の三田りょうが歌っている。以後、開会式ではこの曲が演奏されている。また、1991年の第25回大会から公式マスコット「おうめくん」が一般公募で誕生した。

2001年にシドニー五輪女子マラソンの金メダルを獲得した高橋尚子、2004年に野口みずき[2] がレースに参加し、共に女子の部(30 km)で優勝した。野口は同年のアテネ五輪に出場し金メダルを獲得した。

間寛平がロードランナーとしての第一歩を踏み出したのは、この大会だと言われている(番組の企画で挑戦)。

IAAF(国際陸上競技連盟)/AIMS(国際マラソン・ロードレース協会)公認の国際大会である。2008年にはIAAFによるロードレースラベリングのシルバーラベル大会に認定されている。しかし、青梅マラソンは最長距離のレースで30km(フルマラソンの距離は42.195 km)のため、国際的には「マラソン」ではない[3]

1996年・2008年・2014年の過去3回、東京地方の大雪の為に開催が中止になった[4]。代替開催日を設けていない為、大会が順延されることはない。

制限時間は、2011年の第45回大会から、30kmの部は4時間、10kmの部は1時間20分となっている[1]

地元青梅には俊足の義賊、裏宿七兵衛の伝承があり、ゆかりの地も多く、健脚にあやかろうと参拝に訪れるランナーも少なくない。

 

種目・コース

参加種目は、30 km(男女18歳以上)及び10km(高校男子・壮年男子40歳以上年代別・高校女子・一般女子・壮年女子40歳以上年代別)である。1万5000人の参加者が走る30kmのコースは、青梅市の日本たばこ産業前を起点に奥多摩街道、旧青梅街道、国道411号線に沿って奥多摩方面に15km進む、標高差85.8mで起伏のある折り返しコースである。ただし、第1回~4回大会(1967~1970年)のみ、コースが青梅街道を箱根ヶ崎方面に向かい、折り返すコースであった。このコースでは、途中八高線の踏切をまたぐ形になり、当時、本数が少なかったとは言え、八高線の運転間隔以上にランナーのタイム差が出てしまい、踏切でランナーの渋滞を誘発する結果となった。そのため、第5回大会からコースを現行のものに変更し、それ以降スタート・ゴール地点の若干の修正はあるもほぼコースは変更されていない。現行コースでは青梅線と沿う形で進んでいるが踏切は存在していない。

なお、この青梅マラソンについては、「マラソン」と称しながら距離が30kmしかないという理由で日本陸連からは「マラソンという大会名はふさわしくない」という声も上がっている。しかし、参加した高橋尚子は完走して優勝した後、「アップダウンが激しいのでフルマラソンと同じ消耗度です」とのコメントをしている。

1981年にオープン参加ながら1時間29分32秒で走破した瀬古利彦(エスビー食品)は、唯一の1時間30分切りを果たしている。なお30年経った現在でも非公式の男子オープン記録として残っている。

 

スターター

近年のスターターは、各界の著名人が務めており、青梅マラソンのイベントの一つにもなっている。

  • 2002〜2004年 – 長嶋茂雄(巨人軍終身名誉監督)
  • 2005年 – 瀬古利彦(男子マラソン元日本記録保持者)
  • 2006年 – 高橋尚子(シドニーオリンピック女子マラソン金メダリスト)
  • 2007年 – 石原慎太郎(東京都知事)
  • 2008年(大雪のため中止) – 瀬古利彦(男子マラソン元日本記録保持者)
  • 2009年 – 朝原宣治(北京オリンピック陸上男子400mリレー銀メダリスト)
  • 2010年 – 杉山愛(元プロテニスプレーヤー)
  • 2011年 – 竹内俊夫(青梅市長、自身も10Kmレースに参加。当初は白鵬翔(大相撲横綱)が予定されていたが、大相撲八百長不祥事のため辞退)
  • 2012年 – 吉田沙保里(女子レスリング2大会連続金メダリスト(当時))
  • 2013年 – 松田丈志(北京・ロンドン五輪競泳200mバタフライ銅メダリスト)
  • 2014年(大雪のため中止) – 吉田沙保里(女子レスリング3大会連続金メダリスト)
  • 2015年 – 田中理恵(ロンドン五輪体操女子日本代表)
  • 2016年 – 10キロの部:高橋尚子(シドニーオリンピック女子マラソン金メダリスト) / 30キロの部:瀬古利彦(男子マラソン元日本記録保持者)
  • 2017年 – 高橋尚子(シドニーオリンピック女子マラソン金メダリスト)
  • 2018年 – 三宅宏実(ウェイトリフティング女子48キロ級で12年ロンドン五輪銀メダル、16年リオ五輪銅メダル)

(Wikipedia)

 

青梅マラソン公式

 

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