ローマ教皇 フランシスコ台下と安倍総理大臣の会談
2019年11月25日,午後6時15分頃から約25分間,安倍晋三内閣総理大臣は,訪日中のローマ教皇フランシスコ台下(His Holiness Pope Francis)と会談したところ,概要は以下のとおりです。なお,これに引き続き,要人及び外交団等との集いが実施されました。
冒頭
安倍総理大臣から,「教皇フランシスコ台下の訪日を歓迎。長い間,訪日したいと希望しておられたが,今回,38年ぶりにローマ教皇の訪日が実現して嬉しい。」,「2014年にバチカンを訪問し,台下にお目にかかったが,本日は,官邸に台下をお迎えでき光栄である。」旨述べました。また,「日本とバチカンは共に,平和,「核兵器のない世界」の実現,貧困撲滅,人権,環境等を重視するパートナーである。教皇フランシスコ台下の訪日を契機に,バチカンとの協力を拡大していきたい」旨述べました。教皇フランシスコ台下から,訪日できてうれしく思う,今後両国の協力を一層強化していきたい旨述べました。
二国間関係
(1)安倍総理大臣から,教皇フランシスコ台下に対し,天皇陛下の御即位に当たり,慶賀のメッセージを頂いたことに感謝を伝えました。また,「東日本大震災3周年に際し,台下から温かいメッセージを頂いたこと,今朝,台下に被災者にお会い頂き,励まして頂いたことに感謝する。」旨述べました。
(2)安倍総理大臣から,教皇フランシスコ台下の長崎・広島訪問に触れた上で,「日本は,唯一の戦争被爆国として「核兵器のない世界」の実現に向け,国際社会の取組を主導していく使命を有している」旨述べました。また,「非核三原則を堅持し,被爆の実相への理解を促進し,核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め,粘り強く「核兵器のない世界」の実現に向け尽力していく」旨決意を述べました。教皇フランシスコ台下から,日本の取組を歓迎するとともに,日本の決意等への支持を述べました。
地域情勢
両者は,地域情勢についても意見交換を行い,特に北朝鮮情勢について,安倍総理大臣から,北朝鮮による拉致問題の早期解決に向けた理解と支持を求め,教皇フランシスコ台下の支持を得ました。
贈呈品
安倍総理大臣から,教皇フランシスコ台下に対し,デジタルカメラ及びロザリオが贈られました。また,教皇フランシスコ台下から安倍総理大臣に対し,金銀銅のメダル及び書籍が贈られました。
(外務省)
要人及び外交団等との集い 首相官邸
令和元年11月25日、安倍総理は、総理大臣官邸でバチカンのローマ教皇フランシスコ台下と会談等を行いました。
総理は、ローマ教皇フランシスコ台下と会談を行い、その後、要人及び外交団等との集いに出席しました。
総理は、要人及び外交団等との集いで次のように述べました。
「フランシスコ・ローマ教皇台下、御列席の皆様、日本政府を代表して、一言御挨拶申し上げます。
教皇台下、日本へ、また総理大臣官邸へ、ようこそお越しくださいました。御訪問を、心より、歓迎いたします。教皇と私は、ただいま、親しく会談をいたしました。
教皇台下には、天皇陛下の御即位に当たって、慶祝の言葉を頂戴いたしました。今朝ほどは、東日本大震災の被災者にも、お会いいただいております。私は教皇のお志に、深く御礼を申し上げました。
教皇は若いころから、来日を強く望まれていたと仄聞(そくぶん)します。そんな台下との出会いを期待し、本日ここには、大勢の方が来てくれました。麻生太郎副総理が、あちらにいます。教皇と同じ、フランシスコの洗礼名を持つ方であります。皆さん、意外に思われたかと思います。
さて、教皇をお迎えし、御挨拶を申し上げるに当たって、教皇の数ある一般謁見演説の一つを、取り上げたいと思います。
2014年1月15日、バチカンでの演説でした。そこで、教皇は、日本で起きたある歴史的事実に、間接的ですが言及されました。今からおよそ150年前、1865年3月17日の出来事です。長崎の大浦という地に、建立なって間もなかった教会を、訪ねてきた人々がありました。男女は子供連れ、総勢十人余り。浦上という地の人々でした。神父、ベルナール・プティジャン神父がひたすらに祈る様子を確かめると、その中から、一人の女性が近づきます。そして、こう訊(き)いた。
『マリア様のお像は、どこですか』
その言葉が、よほど衝撃だったのでしょう、プティジャン神父は翌日パリに送った書簡の中に、耳にした日本語そのままを、ローマ字にして書きつけました。
『SanctaMaria no gozowa doko』
日本からカトリック神父が一人残らずいなくなって、その時まで約220年。筆舌に尽くし難い迫害の中、信仰を守り続けた忍従の人々がいたことが、明るみに出た、奇跡の瞬間でした。扶(たす)け合い、励まし合って生き延びた共同体には、ある教えが伝わっていたといいます。
『7代待てば、海の彼方から司祭が来る』
この時まで、本当に7世代もの長い間、仲間の結束を保ち、信仰を守り抜いたレジリエンスは、時と空間を宗教の違いを超えて、我々の魂を今も、揺さぶらずにはいません。
しかしながら、歴史とは、苛烈ではありませんか。同じ長崎の、しかも浦上の人々の真上に、やがて、原爆が落ちるのです。
一枚の、写真があります。ところは、長崎近郊のどこか。時は、1945年、原爆が炸裂(さくれつ)した後の、恐らく夏から秋に変わる頃です。写っているのは、10歳くらいの男の子です。その背中に、力なく瞑目(めいもく)しておぶさるのは、年下の弟のようです。少年が裸足で、直立不動、気をつけの姿勢で立つ、その場所は、焼き場なのです。おぶった幼な子は既に命が絶えていて、彼はその子を、土へ返しに来たのです。
この写真を教皇は、カードにされた。『唇は、噛(か)み締め続けたせいで、血をにじませている。この子の悲しみを表すものといっては、ただそれだけだった』と解説を加え、『戦争がもたらすもの』いう言葉と署名を付して、広く配布されました。昨日、長崎でなさった祈りの場でも同じ写真を使われています。
私は、言葉を失います。原爆がもたらした、悲しみと、苦痛の重みに。それを思いやり、大きな心を寄せてくださる、教皇の、祈りの深さに。日本とは、唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向け、国際社会の取組を主導していく使命をもつ国です。これは、私の揺るぎない信念、日本政府の確固たる方針であります。私たちはこれからも、核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら、対話を促す努力において、決して倦(う)むことはないと、ここに申し上げます。
フランシスコ教皇台下。戦後70有余年、日本の私ども、平和と、自由をひたぶるに追い求め、揺らぐことがありませんでした。国連難民高等弁務官だった、今は亡き、緒方貞子さんが世に広めたのは、人間一人ひとりを強くし、未来に希望を抱けるようにすることこそが、最も大切だとする思想です。これを信じ、信じるのみでなく行動で示す若者たちを、日本は育て続けてまいりました。このことは、私始め、多くの日本国民が、誇りとするところです。今、この瞬間にも、青年海外協力隊の諸君は、世界各地の、最も貧しい地域に入り、活動を続けています。持ち前の粘り強さで、マラリヤに罹(かか)ろうとも、貧しい人、弱い立場の人、女性や、子供たちに、希望を与えようと、努力を惜しまぬ若者たちです。
他方、私たちが平和を享受する今このときも、迫害にあえぐ人がある。理由もないまま囚われの身となり、解放を待ちわびる人々があります。教皇が、『Proteger toda vida』、つまり『全ての命を守ろう』と言われたように、このような絶望の淵(ふち)にある人々の、ただ一人として私たちは、見捨ててはならない。自由を尊び、人権を重んじる私たちは、希望の光が見えず、絶望しか見出せない人々を、必ず、救い出さなくてはならないのです。
貧しい人、恵まれない人々に常に寄り添い続ける教皇の姿を近くに拝見し、私もまた、世界をより良き場所とするため、たゆまず前進してまいりたいと、決意を新たにしています。教皇の言葉から、一つ引用させていただくことで、挨拶を終えようと思います。
『課題は、克服するためにあるのです。現実を直視し、しかし、喜びを失うことなく、大胆に、希望に満ちて、献身しましょう』
御清聴、ありがとうございました。」
(首相官邸)