年号と元号
「元号」は、本来「年号」であり、両者をほぼ同義語として併用する。
「年号」は、年数の上に良い漢字(主に二字)を冠して年を表す称号であり、その年号は、さまざまな理由で「改元」(元の年を改定)されてきたことで「元号」ともいう。
制度上は、八世紀初めの「律令法」により「年号」が公用され、十九世紀に入り「明治」改元で「一世一元」となって以来「元号」が公称とされている。
元号法
昭和54年(1979)6月に公布・施行された元号に関する法律。
昭和21年(1946)の旧皇室典範の廃止により、元号の法的根拠が喪失した際、代わりに「元号法案」が作成されたが、統合軍総司令部・GHQの圧力により闇に葬られた。その後、昭和40年代後半から数度の法案提出を経て成立した。
本則・付則各二項から成り、元号は政令で定め、皇位継承の場合にのみ改めることなどが規定された。
「平成」の元号は、この法律に基づいて施行された、はじめての元号である。
元号法制定まで
大日本帝国憲法下においては、元号に関する規定は旧皇室典範第12条に明記されていたが、日本国憲法下においては、1947年(昭和22年)に現皇室典範が制定されるに伴って条文が消失し、法的明文が不存在となった。
しかし、明文法なきあとも、国会・政府・裁判所の公的文書、民間新聞や報道機関、会社・学校等多くで慣例的に元号による年号表記が継続的に用いられた。
当時の政府は、昭和天皇の高齢化等に鑑み、昭和51年(1976)実施の世論調査において国民の87.5%が元号を使用していることなど法制化への重要性から、昭和54年(1979)6月6日に第87回国会で「元号法」を成立させ、同月12日に公布・即日施行した。
「昭和」の元号はこの法律第1項の規定に基づき定められたものとされた(附則第2項)。
「平成」の元号は「元号を改める政令」(昭和64年政令第1号)1989年(昭和64年)1月7日公布・翌日1989年(平成元年)1月8日施行により定められた。
元号の選定手続き
昭和54年(1979)6月の元号法公布・施行を受け、当時の大平正芳内閣が国会審議中の質疑応答も踏まえて作成し、同年10月23日「閣議報告」として公表した「元号選定手続き」に拠る。
手続きとしては、内閣総理大臣が複数の有識者を選出し、元号案の提出を委嘱する。
提出された元号案を総理府総務長官(のち内閣官房長官)が検討・整理し、総理大臣に報告する。
総理府総務長官・内閣官房長官・内閣法制局長官(のち官房長官と法制局長官のみ)の会議により数個の案を選定し、全閣僚会議において協議する。その間、総理大臣は、衆参両議院正副議長からも意見を聴取する。
最終的に閣議において、改元の政令の決定という形をとる。
元号の候補名の検討・整理に際して
(1)国民の理想としてふさわしい良い意味をもつ
(2)漢字二字
(3)書きやすい
(4)読みやすい
(5)これまでに元号・おくり名として用いられていない
(6)俗用されていない
ことに留意することとされている。
元号法
- 昭和54年法律第43号
- 公布: 昭和54年6月12日
- 施行: 昭和54年6月12日
元号法をここに公布する。
御名御璽
昭和五十四年六月十二日
内閣総理大臣 大平 正芳
法律第四十三号
-
- 元号法
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
-
- 附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項に基づき定められたものとする。
内閣総理大臣 大平 正芳
参考:天皇御璽
元号を改める政令
- 昭和64年政令第1号
- 公布: 昭和64年1月7日
- 施行: 平成元年1月8日
元号を改める政令をここに公布する。
御名御璽
昭和六十四年一月七日
内閣総理大臣 竹下 登
政令第一号
元号を改める政令
内閣は、元号法(昭和五十四年法律第四十三号)第一項の規定に基づき、この政令を制定する。
元号を平成に改める。
附則
この政令は、公布の日の翌日から施行する。
内閣総理大臣 竹下 登