天皇陛下お誕生日に際し(令和7年・2025年)
■会見の日
令和7年2月20日
■会見の場所
皇居宮殿 石橋の間
宮内記者会代表質問
問1 今年は戦後80年です。戦後生まれの人が大半を占める今の時代、天皇陛下は戦争の歴史とどう向き合い、象徴としてどのように役割を果たしていきたいとお考えでしょうか。
天皇陛下
今回の誕生日で私は65歳になりますが、戦後80年という年月を考えると、私が生まれる15年前までは戦争の時代であったということになります。両親である上皇上皇后両陛下は、幼少時を戦争と共に過ごされたわけで、日本において80年間、平和の時代が続いていることを有り難いことと思います。
先の大戦においては、世界の各国で多くの尊い命が失われたことを大変痛ましく思います。我が国の人々についても、広島や長崎での原爆投下、東京を始めとする各都市での空襲、沖縄における地上戦、硫黄島や海外での激しい戦いなどで多くの尊い命が失われました。
終戦以来、人々のたゆみない努力により、今日こんにちの我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、亡くなられた方々や、苦しく、悲しい思いをされた方々のことを忘れずに、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。
昨年、日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞されました。長年にわたって活動を続けてこられた方々の御苦労に思いを致しつつ、平和な世界を築くために、お互いの理解に努め、協力していくことの大切さを改めて感じております。
私と雅子は、これまで広島、長崎、沖縄などを訪れ、多くの方々の苦難を心に刻んできています。今年、戦後80年という節目を迎え、各地で亡くなられた方々や、苦難の道を歩まれた方々に、改めて心を寄せていきたいと思っております。
そして、戦争の記憶が薄れようとしている今日こんにち、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や歴史が伝えられていくことが大切であると考えております。戦中・戦後の苦難を体験した方々が高齢となり、当時のことを語り継いでいくことが難しくなっている中、国内各地で若い人たちが戦争を知ろうとし、次の世代の語り部として育ち、戦中・戦後の苦労を語り継ぐ活動が進められていることは、戦後80年を迎える今日こんにち、一層意義深いものとなっていると思います。
上皇上皇后両陛下には、これまで様々な機会に、戦争によって亡くなられた方々を慰霊され、平和を祈念されています。私と雅子は戦後生まれで、戦争を体験していませんが、上皇上皇后両陛下の戦時中の御体験のお話など、平和を大切に思われるお気持ちについて、折に触れて伺う機会がありました。愛子も、両陛下から先の大戦についてお話を聞かせていただいております。
私は、日本国及び日本国民統合の象徴として、上皇陛下のお気持ちをしっかりと受け継ぎ、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、象徴としての責務を果たすべくなお一層努めてまいりたいと思っております。
戦後80年を迎える本年が、日本の発展の礎を築いた人々の苦難に深く思いを致し、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っております。
問2 ご自身とご家族についてお尋ねします。皇后さまは英国訪問をはじめ国際親善の活動にも数多く取り組まれてきましたが、最近のご様子と私的な活動を含めた関心を持たれている分野についてご紹介ください。愛子さまはお仕事に励むとともに、皇族として活動の幅を広げられていますが、今後の活動ではどのようなことを期待されますか。愛子さまの結婚について家族で話されていることをお聞かせください。陛下は最近、プライベートな時間をどのように過ごされていますか。
天皇陛下
昨年、雅子は都内や地方への訪問に加えて、英国も訪問し、チャールズ国王王妃両陛下を始め、多くの方々に温かく迎えていただくとともに、長年二人で訪れたいと思っていた懐かしいオックスフォード大学を初めて一緒に再訪することができました。雅子にとっては、実に30数年ぶりのオックスフォードとなり、本人もとても喜び、懐かしがっていました。オックスフォード大学では、以前に私も頂いた名誉法学博士号を雅子にも授与していただき、大変光栄なことと雅子は心から感謝し、私もうれしく、また有り難く思っております。
雅子は、日本赤十字社の名誉総裁として、昨年も全国赤十字大会に出席いたしましたが、各地の赤十字関係者の取組に感謝するとともに、各地で活発に行われている赤十字の活動を心強く感じていることと思います。また、私共々、普段から、国民の皆さんが直面している様々な困難に心を寄せながら、皆さんとの触れ合いの機会を大切にしています。雅子は一つ一つの公務に向けて体調を整えるように努め、心を込めて準備して公務に臨んでいます。私自身も、雅子と一緒にいろいろな方とお会いすることで皆さんとのお話が深まり、様々な気付きを得られるように感じています。また、日頃から世界の国々の情勢や地球規模の様々な課題についても、関心を持つように心掛けています。私と雅子は、今後とも国民の幸せを願い、二人で協力しながら務めを果たしていくことができればと思っております。
また、家族の絆きずなと家族への感謝を感じながら、日々を過ごしております。時間が取れるときには、一緒に散歩に出掛けたり、共に暮らしている犬の由莉や猫のセブンも交えながら愛子と3人で和やかな時間を過ごしています。私たち家族は皆自然が好きで、特に雅子や愛子は生き物が好きですので、御料牧場や那須での静養の折には、一緒に楽しく過ごすことができることを有り難く思います。また、普段の散歩の折には、皇居内の厩きゅう舎にいる馬たちや警察犬に会いに行くことも、いつも楽しみにしています。また、初夏には、雅子が取り組んでいる養蚕に、私たちも一緒に携わることも楽しみの一つになっています。
雅子には、これからも、体調に気を付けながら、できることを一つ一つ着実に積み重ねていってほしいと思っております。
愛子は、昨年4月に日本赤十字社での勤務を始めてからまもなく1年が経ち、社会人として2年目を迎えようとしています。職場では、周囲の方々に温かく御指導いただき、皆さんと協力しながら精一杯仕事に取り組んでいる様子に、社会人として一歩一歩成長しているのではないかと思います。愛子は、日々の仕事を行う中で、ボランティア活動や防災の分野などにも関心を深めているようです。これからも、多くの経験を重ねながら視野を広げ、更に成長していってほしいと願っています。
また、昨年10月には、初めて単独での地方の公務として国民スポーツ大会のために佐賀県を訪問し、各地で多くの方々に温かく迎えていただきました。今後、皇族としての仕事の幅も広がっていくのではないかと思いますが、今年は戦後80年という節目を迎え、愛子にも、戦争によって亡くなられた方々や、苦難の道を歩まれた方々に心を寄せていってもらいたいと思っています。愛子には、引き続き、感謝と思いやりの気持ちを持ちながら、皇室の一員として一つ一つの務めを大切に果たしていくことを願っています。
皆様には、これまでも雅子や愛子に温かいお気持ちを寄せていただいていることに、心から感謝しております。今後とも温かく見守っていただければ幸いに思います。
私のプライベートな時間の過ごし方については、日頃は、皇居内でジョギングをしたり、雅子と一緒に散策をしたりするなど、四季の移ろいを感じながら、健康のための運動を行っています。
また、最近はなかなか練習の時間を取りにくくなってはいますが、ビオラやバイオリンの練習も少しずつ続けています。ピアノを弾くこともありますが、ビオラを始め、音楽からは多くの癒やしと力をもらっているように思います。
登山にも関心を持ち続けています。山小屋に泊まっての登山というのはなかなか難しいかもしれませんが、今後とも、時間が許せば近くの山に登るなどして、日本の自然の美しさに触れられればと思っています。また、山には、古来、人々が信仰や生業なりわいなど様々な目的で通った道があります。小学生の時に、私が住んでいた赤坂御用地に鎌倉時代の街道が通っていたことを知り、道の歴史に興味を覚えて以来、山に残されている信仰の道や生業なりわいの道などの古道をたどることにも大きな魅力を感じています。道は私のライフワークと思っております。
「水」問題については、安全な飲み水や衛生の問題はもとより、水上交通、さらには気候変動や水にまつわる自然災害などといった国民生活や地球規模での課題に深く関わる問題など、様々な側面があります。
昨年の能登半島地震では、津波による被害や長期間の断水が発生したほか、その後の復旧・復興への歩みを進める中で豪雨災害が発生したことで、「複合災害」、「二重被災」と呼ばれるような大変な状況が生じました。昨年、現地をお見舞いのために訪れた際には、津波や豪雨災害で流失した家屋や一部が流された橋、海底の隆起によって被害を受けた漁港などを目の当たりにし、被災された方々の置かれた状況の厳しさや自然災害の恐ろしさを改めて感じました。
また、昨年の英国訪問中に、テムズバリアを訪れる機会を得、高潮被害の防止などについて理解を深めることができたのも有り難いことでした。
水の恩恵を享受しつつ、災害に対応することは、人類共通の歩みでもあり、各国の水を巡る問題を知ることは、それぞれの国の社会や文化を理解することにもつながります。今後とも、事情の許す範囲で「水」問題についての取組を続けていきたいと思っています。
問3 成年を迎えられた悠仁さまについてお聞きします。筑波大学への進学が決まりましたが、ご自身のご経験を振り返り、どのような学生生活を送られてほしいと思われますか。成長ぶりや最近の印象に残った会話についてもあわせてご紹介ください。皇位継承順位第2位の成年皇族として、どのような役割を期待されていますか。
天皇陛下
悠仁親王は昨年18歳となり、成年を迎えました。小さい時から甥として成長を見守ってきましたが、近頃は、都内や地方への訪問であったり、外国の方々との交流であったり、皇室の一員としての務めを果たしてくれていることを頼もしく思います。
会った時には、地方や都内への訪問に関する話題のほかにも、関心を持って取り組んでいるトンボ、野菜の栽培、バドミントンなどについて生き生きと話してくれますので、充実した日々を送っているのではないかと思います。
先日、悠仁親王の大学の進学先が決まり、うれしく思っています。私自身の大学時代を振り返ってみると、専門の日本史の研究や部活動としてのオーケストラでの練習などを通じて、年齢の幅もある様々な人と出会うことができたと思います。そして、様々な背景や関心を持った先生方や友人たちから多くのことを学びました。高校時代までの友達も大切ですが、大学で知り合った人々との交流も続けています。研究面でも、大学時代に研究した日本中世の瀬戸内海の水上交通の研究は、オックスフォード大学でのテムズ川の水上交通史の研究へとつながり、現在も取り組んでいるより広い分野の「水」問題へと発展していったように思います。
悠仁親王には、大学生活を通して、本当に自分がやりたいことを見つけるとともに、様々な人と出会い、自身の将来をしっかりと見つめつつ、実り多い学生生活を送ってほしいと願っております。
問4 この1年は明るい話題もあった一方、自然災害が相次ぎ、両陛下は能登地方を3回にわたって見舞われました。皇室では上皇后さまが骨折され、三笠宮妃の百合子さまが亡くなられました。この1年で印象に残っている出来事をお聞かせください。
天皇陛下
この1年も、残念ながら、地震や大雨、台風などの自然災害が様々な場所で発生しました。亡くなられた方々とその御遺族に心から哀悼の意を表するとともに、被災された方々にお見舞いをお伝えいたします。また、このところの寒波により、各地で大雪となっており、皆さんの御苦労もいかばかりかと思います。
先月は、阪神・淡路大震災から30年を迎え、雅子と共に追悼式典に出席いたしました。改めて、皆さんが長年にわたって困難を乗り越えてきたことに敬意を表するとともに、若い世代によって震災の経験と教訓をつないでいく取組が進められていることを心強く思いました。先ほど、戦争の体験を語り継ぐことの意義についてお話しいたしましたが、大規模な災害の経験と教訓についても、世代を越えて語り継いでいくことが大切だと思っております。
また、令和6年能登半島地震から1年1か月が過ぎましたが、地域の復旧・復興の途上で豪雨災害に見舞われたことは本当に大変なことだと思います。お見舞いに伺った際にも、被災された皆さんの心が挫くじけそうになっているお気持ちを感じ、私たちの訪問が少しでも力になるのであればと思いました。寒さが続く中、被災された方々が安心して生活できる日が1日でも早く訪れ、復旧・復興が一歩一歩着実に進んでいくことを願っております。
昨年亡くなった五百旗頭真氏はその著書「大災害の時代」の冒頭で、「われわれは思いもかけず「大震災の時代」にめぐり合わせている」と述べ、阪神・淡路大震災以降、日本列島の地震活動が活性期に入ったと警鐘を鳴らしています。同書では、歴史的に見ても、平安時代の9世紀には、東日本大震災と規模が似ていると考えられている貞観地震や南海トラフによるものと思われる仁和地震、そして、播磨地震、越中越後地震、さらには富士山の噴火など大きな自然災害が続いており、同様に災害の続いた時期は、戦国時代や江戸時代にも見られると述べられています。阪神・淡路大震災に始まり、能登半島地震に至る近年の地震災害の被害や、復旧・復興の経験などを心にとどめ、将来起こりうる南海トラフ地震や首都直下地震などに対して、今一度私たちの備えを確認する必要があると強く感じます。
世界に目を転じても、大雨による被害や山火事、深刻な干ばつなど、地球温暖化に伴うと思われる自然災害が、この1年も各地で頻発しています。また、世界各地での戦争や紛争により、子どもを含む多くの人の命が失われてきたことに深く心が痛みます。異なる価値観を尊重して受け入れる寛容な社会と平和な世界を築いていくため、国際社会でのなお一層の協力や協調が求められていると思います。
皇室においては、昨年11月、崇仁親王妃百合子殿下が薨こう去されたことを寂しく思っております。妃殿下には、長年にわたって私たちを温かく見守っていただき、また日頃から良くしていただいておりました。深く感謝し、改めて心から哀悼の意を表します。
上皇后陛下には、昨年秋に骨折されて手術をお受けになりましたが、順調に御快復になっておられることに安堵どしております。上皇上皇后両陛下には、私たちを変わらず温かくお見守りいただき、お導きいただいていることに感謝申し上げます。
国内では、物価の上昇などの経済的な状況を始め、様々な事情により困難を抱えている人も多く、そうした人々の身の上を案じております。
このような中ではありますが、この1年には皆の心が明るくなるような話題もありました。昨年夏に開催されたパリオリンピック・パラリンピック競技大会では、出場した選手たちが、これまでに培ってきた力を尽くして競技に臨む姿が印象に残りました。陸上女子やり投げ決勝では、北口榛花選手がオリンピックのフィールド種目で日本女子選手初となる金メダルを獲得するなど、多くの日本人選手が活躍したことはうれしいことでした。さらに、米国メジャーリーグの大谷翔平選手が3度目のMVPに選出されたことや、長年にわたって米国メジャーリーグで活躍したイチロー選手が今年の米国野球殿堂入りメンバーに選ばれたことなど、我が国の人々が、日々の努力の積み重ねにより新たな世界を切り開いていく姿は、私たちに明るい希望と勇気を与えてくれるものと思います。
問5 皇室の課題に関してお尋ねします。国会の皇族数確保策の議論では、女性皇族が結婚後も皇室に残る案がおおむね賛同を得られました。秋篠宮さまは該当する皇族は「生身の人間」で、宮内庁は考えを理解する必要があると指摘されました。この発言の受け止めや愛子さまや皇后さまと話されていることをお聞かせください。皇室の情報発信をめぐっては、宮内庁がインスタグラムでの発信を始めた一方、ネット上などでのバッシングともとれる情報について、秋篠宮さまは「いじめ的情報と感じる」と述べられましたが、陛下はどのように感じられていますか。
天皇陛下
現在、男性皇族の数が減り、高齢化が進んでいること、女性皇族は結婚により皇籍を離脱すること、といった事情により、公的活動を担うことができる皇族は、以前に比べ、減少してきています。これは皇室の将来とも関係する問題ですが、制度に関わる事柄について、私から言及することは控えたいと思います。
皇室の情報発信については、昨年もお話ししたとおり、皇室の活動についての情報発信を考えるに当たって、その前提として、皇室の在り方や活動の基本に立ち返って考える必要があると思います。
皇室の在り方や活動の基本は、繰り返しになりますが、国民の幸せを常に願い、国民と苦楽を共にすることだと思います。また、時代の移り変わりや社会の変化に応じて、状況に対応した務めを果たしていくことが大切であると思います。
皇室を構成する一人一人が、このような役割と真摯に向き合い、国民の幸せを願いながら一つ一つの務めを果たし、国民と心の交流を重ねていく中で、国民と皇室との信頼関係が築かれていくものと考えております。
国民との交流を重ね、国民と皇室の信頼関係を築く上では、皇室に関する情報を、適切なタイミングで国民の皆さんに分かりやすくお知らせしていくことも大事なことであり、宮内庁では、昨年からインスタグラムによる情報発信が開始されています。情報発信の仕方については、今後も工夫をしながら進めていってもらえるものと思っています。
インターネット上の書き込みなどについては、以前お話ししたとおり、人々が自分の意見や考えを自由に表現できることは、憲法が保障する基本的人権として尊重されるべきものであり、自由で多様な意見を述べ合える社会を作っていくことは大切なことだと思います。その中にあって、一般論になりますが、ほかの人に対して意見を表明する際には、時に、その人の心や立場を傷つけることもあるということを常に心にとどめておく必要があると思います。相手の人の気持ちや置かれた状況にも想像力を働かせ、異なる立場にあったり、異なる考えを持つ人々にも配慮し、尊重し合える寛容な社会が築かれていくことを願っております。
関連質問
問1 2問目のお答えについての関連なんですけれども、愛子さまが昨年初めて単独で地方に公務に行かれまして、その時に陛下が、御自身が初めて公務に、地方に行かれた時のことを思い出されたりですとか、愛子さまの今回の御様子をどのように両陛下で御覧になっていたのかという点と、もう一つ、愛子さまが社会人として、今年活動の幅を広げられる中で、愛子さまの何か変化みたいなものを、もしお感じになっていらっしゃったらお聞かせいただければと思います。
天皇陛下
私が初めて地方での公務に臨んだのは、北海道でのスポーツ少年大会への出席だったと思います。その時は、私の挨拶もありましたので、大変緊張したことを覚えておりますけれども、多くの小さな子どもたちともいろいろと交流する場があったことや、北海道の大自然の中で子どもたちが楽しそうに遊んでいたり、スポーツをしていたりする風景を、今でも懐かしく思い出します。愛子は昨年初めて単独で佐賀県を訪れ、単独での地方での公務は初めてでしたけれども、一人で伊勢神宮や奈良に参拝などにも行ったりしておりますので、その辺はあまり心配はしないで送り出すことができたように思います。雅子と私と愛子の3人でいろいろと都内での行事や、博物館などにも今までも行っておりますので、愛子もそういった私たちの様子なども見ながら、またその時のこともいろいろと考えながら、一生懸命初めての地方での公務を行ったように思っており、私たちもうれしく思っております。
記者
社会人になられて何か変化ですとか。
天皇陛下
私自身、社会人として仕事をしたことがないものですから、愛子が書類を提出するとか、いろいろな記録を取るとか、日赤の一員としての活動について家に帰って話してくれて、その話の一つ一つに非常な新鮮さを感じ、そういったところから、愛子が大学を卒業して社会に入って社会人として一歩一歩成長している様子をかいま見ることができ、大変うれしく思っております。
問2 陛下お誕生日おめでとうございます。今年、戦後80年と同時に昭和100年という節目であります。皇室の国際親善についてですけれども、戦前は立憲君主制の下で、皇室がいわゆる外交を担ってきました。しかしながら、昭和の前半に戦争が起こり、国民が大変な犠牲を強いる、そういう時代がございました。で、戦後になり、今度は象徴天皇制になり、昭和天皇、さらに上皇陛下、お二人が国際親善に尽くされて、国民は80年間、戦争がない時代を過ごすことができました。しかしながら、最近の国際情勢を見ると、ウクライナ、ガザなどで紛争が起こっておりまして、多くの人々が戦火にまみれているような状態です。さらに日本であっても、そういった紛争の影響で、物価が高騰して生活に苦しんでいる、そういう方々がいらっしゃいます。こうした中にあって、令和の皇室において、国際親善というものがですね、どのような形であれば良いとお考えでしょうか。お聞かせいただければと思います。
天皇陛下
国際親善というのは、外国訪問について言えば、先方から御招待を頂いて、私たちが出掛けていくことになるわけですけれども、両国の相互理解が、外国訪問によって深まり、その国との友好関係を築いていくことが大切なのではないかと思います。やはり、人と人との結び付きが、やがて国と国との平和に結び付いていくことになるのではないかと思います。今は本当におっしゃるように、国際情勢も混とんとしてきて大変な状況ではありますけれども、1回1回、外国を訪問するたびに、国際親善ということを念頭に置きながら、今後とも外国訪問を続けていきたいと思っています。
天皇誕生日ご近影・ご会見映像
天皇誕生日当日の行事
令和7年2月23日(日)
行事時刻 | 出御 | 行事 | 事項 | 場所 |
---|---|---|---|---|
午前 | 天皇陛下 | 天長祭の儀 | 宮中三殿 | |
同 | 天皇皇后両陛下 | 祝賀 | 宮内庁長官始め宮内庁職員(代表)、 皇宮警察本部長始め皇宮警察本部職員(代表) 及び参与等 |
鳳凰の間 |
同 | 天皇皇后両陛下 お始め |
一般参賀 | 春秋の間(東庭) | |
同 | 天皇陛下 | 祝賀の儀 | 皇嗣同妃お始め皇族各殿下 | 松の間 |
同 | 皇后陛下 | 祝賀 | 皇嗣同妃お始め皇族各殿下 | 梅の間 |
同 | 天皇皇后両陛下 お始め |
一般参賀 | 春秋の間(東庭) | |
同 | 天皇皇后両陛下 | 祝賀 | 元皇族及び御親族 | 竹の間 |
同 | 天皇皇后両陛下 お始め |
一般参賀 | 春秋の間(東庭) | |
午後 | 天皇陛下 | 祝賀の儀 | 内閣総理大臣、衆・参両院議長、最高裁判所長官 | 松の間 |
同 | 天皇皇后両陛下 お始め |
宴会の儀 | 内閣総理大臣等 | 豊明殿 |
同 | 天皇皇后両陛下 | 祝賀 | 堂上会総代 | 鳳凰の間 |
同 | 天皇皇后両陛下 | 祝賀 | 元宮内庁長官、元宮内庁次長、元式部官長、 元側近奉仕者及び元参与等(代表) |
竹の間 |
同 | 天皇皇后両陛下 | 祝賀の儀 | 各国の外交使節団の長及びその配偶者等 | 春秋の間 |
同 | 天皇皇后両陛下 | 御挨拶 | 上皇上皇后両陛下 | 仙洞御所 |
同 | 天皇皇后両陛下 愛子内親王殿下 |
祝賀 | 悠仁親王殿下 | 御所 |
同 | 天皇皇后両陛下 愛子内親王殿下 |
祝賀 | 侍従長始め侍従職職員 | 御所 |
令和7年天皇誕生日一般参賀
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2025年天皇誕生日一般参賀 皇居参観方法・行き方・記帳所|令和7年2月23日(日・祝)
2025年(令和7年)の『天皇誕生日一般参賀』の実施要項と皇居へのアクセス、注意事項。
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