法・歴史

元号制定の方法と法制手続 元号と年号

元号制定の方法と法制手続 元号と年号

衆議院

 

新元号の発表は4月1日午前11時30分頃

政府は3月29日午前、元号選定手続きに関する検討会議を開き、菅義偉官房長官による新元号の公表は4月1日午前11時半頃にするとの日程を決めた。

菅氏が記者会見で明らかにした。

当日は、元号に関する有識者懇談会を午前9時半に開き、衆参両院の正副議長への意見聴取は午前10時20分頃から始め、安倍晋三首相が正午ごろから記者会見で談話を発表する予定。

 

 

新元号制定と公表への動向

改元や10連休 40%超の企業が「何らかの影響」

ことし5月の改元や、それに伴う10連休について、40%以上の企業が何らかの影響があると見ているという民間の調査がまとまりました。

調査は、民間の信用調査会社、「帝国データバンク」が先月行い、9700社余りから回答を得ました。

この中で、ことし5月の改元やそれに伴う10連休の企業活動への影響について、「プラスの影響がある」は5.3%、「マイナスの影響がある」は12.8%、「両面の影響がある」は25.5%で、合わせて43.6%が何らかの影響があると回答しました。
「影響はない」は38.9%でした。

プラスの影響としては、「個人消費の拡大」や「改元で新たな需要が生まれること」などが挙げられ、マイナスの影響では「営業日の減少」や、「システムや書類の変更への対応」などが挙げられました。

(NHK 3/20)

 

「平成」改元の行政文書 公文書館に移管せず内閣府で管理

元号が昭和から平成に改められた際の手続きなどを記した行政文書について、政府は、皇位継承に伴う今回の改元が終わったあとも業務に用いるとして、国立公文書館に移管せず、今後5年間、現在保存している内閣府で管理することを決めました。

行政文書は公文書管理法に基づいて、1年から30年の間で設定できる保存期間を経過したのち、重要なものは国立公文書館に移管されることになっていて、元号が昭和から平成に改められた際の手続きなどを記した文書の保存期間が今月末で満了することから、その取り扱いが焦点となっていました。

これについて政府は「改元に関する業務は一連の行事が終わったあとも続く」として、来月以降も国立公文書館に移管せず、今後5年間、現在保存している内閣府で管理することを決めました。

政府関係者は「情報公開請求があった場合の対応はそのつど内閣府で判断することになるが、国立公文書館に移管された場合でも、移管元の行政機関の意見を踏まえて公開・非公開が決定されることから、対応に大きな差が生じることは考えにくい」と話しています。

(NHK 3/21)

 

新元号の考案 複数の有識者に正式委嘱 選定作業最終段階へ

来月1日の新たな元号の決定を前に、菅官房長官は、今月14日に新元号の考案を複数の有識者に正式に委嘱したことを明らかにしました。政府は非公式に複数の有識者に新元号の考案を依頼していたことから、菅官房長官の発言は、候補案の絞り込みが進み、選定作業が最終段階に近づいていることを示しています。

来月30日の天皇陛下の退位と翌5月1日の皇太子さまの即位を前に、政府は、来月1日、有識者からなる「元号に関する懇談会」を開くなどして、平成に代わる新たな元号を決定することにしています。

これに関連し、菅官房長官は、訪問先の那覇市で、記者団に対し、「元号の考案者には、3月14日、正式に委嘱した」と述べ、今月14日に複数の有識者に対し、新元号の考案を正式に委嘱したことを明らかにしました。

政府の「元号選定手続」によりますと、総理大臣が、考案者として、高い識見をもつ人若干名を選び、候補を2つから5つ程度、提出するよう委嘱します。

その後、官房長官が、提出された中から、数個を原案として選び各界の代表や有識者からなる「元号に関する懇談会」や、衆参両院の正副議長の意見を聞くなどしたうえで、元号を改める政令を閣議決定し、新元号は決まります。

政府は、非公式に複数の有識者に対し、新元号の考案を依頼していたことから、菅官房長官の24日の発言は、今月14日の段階で候補案の絞り込みが進み、選定作業が最終段階に近づいていることを示しています。

(NHK 3/24)

 

菅官房長官 新元号の考案者 「決定後も公表せず」

新たな元号の来月1日の決定を前に、政府が今月14日、候補案の考案を有識者に委嘱したことに関連し、菅官房長官は午前の記者会見で、新元号の考案者が詮索されるのは適当ではないなどとして、新元号決定後も考案者の名前を公表しない考えを示しました。

来月1日の新たな元号の決定を前に、菅官房長官は24日記者団に対し、今月14日に新元号の考案を複数の有識者に正式に委嘱したことを明らかにしました。

これについて菅官房長官は午前の記者会見で、「国文学、漢文学、日本史学、東洋史学の4分野の学識を有する方の中から委嘱したが、具体的にどの分野の専門家に委嘱したか答えることは差し控えたい」と述べました。

そのうえで、「考案者の氏名は、候補者が氏名の秘匿を希望されていることに加えて、候補者を明らかにすれば、誰がどのような元号を考案したかなどが詮索される。こうしたことは適当ではないと考えており、公表は差し控えさせていただきたい」と述べました。

また菅官房長官は、記者団が、4月1日の新元号決定後も明らかにする考えはないのか質問したのに対し「公表は差し控える」と述べ、新元号決定後も考案者の名前を公表しない考えを示しました。

 

毎日新聞平成30年11月25日

来年5月1日の新天皇即位に伴って改める元号に関し、政府は新元号を即位前に「内定」し、その段階で公表することを検討している。即位前の4月中に有識者会議などを開き、内定した新元号を公表する一方、改元の政令は5月1日に閣議決定する。政令に署名するのは新天皇になる。自民党内外の保守派は、今の天皇陛下が署名すると新天皇と新元号の「一体不可分性」が破られると主張し、事前公表に反対していた。手続きを分離し保守派に配慮する。

公表時期は、来年4月21日に予定される統一地方選後半の投開票が終わった後、即位の1週間前をめどにする案が浮上している。ただ、内閣官房関係者は「1週間や10日ではシステム改修が間に合わない」と疑問視する。一方、保守派は「内定から閣議決定までの期間が長いと、内定案への賛否の議論が起きかねない」と懸念しており、調整が今後本格化する。

政府は今年5月、官民のシステム改修に1カ月はかかるとの理由で、改元の1カ月前の新元号公表を想定して準備するよう各省庁に指示した。しかし、保守派は、平成のうちの新元号公表は「元号並立」の状況になり、明治以降に天皇一代に元号一つと定めた「一世一元」に反すると懸念。「事前公表では『天皇の元号』ではなく『内閣の元号』になる」と主張してきた。内定案は政府方針と保守派の意見の折衷策として浮上した。

自民党関係者によると、伊吹文明元衆院議長が安倍晋三首相に提案し、首相も「検討する」と応じたという。保守系団体「日本会議」関係者は「伝統尊重と、国民生活への影響軽減は対立するものではない」と指摘し、容認できるとの見方を示した。

前回の代替わりでは、昭和天皇が逝去した1989年1月7日に、元号を翌8日から平成とする政令を公布した。その際(1)有識者懇談会(2)衆参両院の正副議長からの意見聴取(3)全閣僚会議--を経て元号を3案から平成に絞り、その後の閣議で政令を決定した。今回、「事前内定」する場合は(1)~(3)を来年4月中に行い、閣議を同5月1日に行う方向だ。

首相官邸内では、首相に近い衛藤晟一首相補佐官が保守派の声を代弁するのに対し、杉田和博官房副長官は早期公表に理解を求めている。

 

 

年号と元号

「元号」は、本来「年号」であり、両者をほぼ同義語として併用する。

「年号」は、年数の上に良い漢字(主に二字)を冠して年を表す称号であり、その年号は、さまざまな理由で「改元」(元の年を改定)されてきたことで「元号」ともいう。

制度上は、八世紀初めの「律令法」により「年号」が公用され、十九世紀に入り「明治」改元で「一世一元」となって以来「元号」が公称とされている。

 

 

元号法

昭和54年(1979)6月に公布・施行された元号に関する法律。

昭和21年(1946)の旧皇室典範の廃止により、元号の法的根拠が喪失した際、代わりに「元号法案」が作成されたが、統合軍総司令部・GHQの圧力により闇に葬られた。その後、昭和40年代後半から数度の法案提出を経て成立した。

本則・付則各二項から成り、元号は政令で定め、皇位継承の場合にのみ改めることなどが規定された。

「平成」の元号は、この法律に基づいて施行された、はじめての元号である。

 

元号法制定まで

大日本帝国憲法下においては、元号に関する規定は旧皇室典範第12条に明記されていたが、日本国憲法下においては、1947年(昭和22年)に現皇室典範が制定されるに伴って条文が消失し、法的明文が不存在となった。

しかし、明文法なきあとも、国会・政府・裁判所の公的文書、民間新聞や報道機関、会社・学校等多くで慣例的に元号による年号表記が継続的に用いられた。

当時の政府は、昭和天皇の高齢化等に鑑み、昭和51年(1976)実施の世論調査において国民の87.5%が元号を使用していることなど法制化への重要性から、昭和54年(1979)6月6日に第87回国会で「元号法」を成立させ、同月12日に公布・即日施行した。

「昭和」の元号はこの法律第1項の規定に基づき定められたものとされた(附則第2項)。

「平成」の元号は「元号を改める政令」(昭和64年政令第1号)1989年(昭和64年)1月7日公布・翌日1989年(平成元年)1月8日施行により定められた。

 

 

元号の選定手続き

昭和54年(1979)6月の元号法公布・施行を受け、当時の大平正芳内閣が国会審議中の質疑応答も踏まえて作成し、同年10月23日「閣議報告」として公表した「元号選定手続き」に拠る。

手続きとしては、内閣総理大臣が複数の有識者を選出し、元号案の提出を委嘱する。

提出された元号案を総理府総務長官(のち内閣官房長官)が検討・整理し、総理大臣に報告する。

総理府総務長官・内閣官房長官・内閣法制局長官(のち官房長官と法制局長官のみ)の会議により数個の案を選定し、全閣僚会議において協議する。その間、総理大臣は、衆参両議院正副議長からも意見を聴取する。

最終的に閣議において、改元の政令の決定という形をとる。

 

元号の候補名の検討・整理に際して

(1)国民の理想としてふさわしい良い意味をもつ
(2)漢字二字
(3)書きやすい
(4)読みやすい
(5)これまでに元号・おくり名として用いられていない
(6)俗用されていない

ことに留意することとされている。

 

 

元号法

  • 昭和54年法律第43号
  • 公布: 昭和54年6月12日
  • 施行: 昭和54年6月12日

元号法をここに公布する。

御名御璽

昭和五十四年六月十二日

内閣総理大臣 大平 正芳

 

法律第四十三号

元号法

1 元号は、政令で定める。

2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。

附 則

1 この法律は、公布の日から施行する。

2 昭和の元号は、本則第一項に基づき定められたものとする。

内閣総理大臣 大平 正芳

 

元号制定の方法と法制手続 元号と年号

 参考:天皇御璽

 

 

元号を改める政令

  • 昭和64年政令第1号
  • 公布: 昭和64年1月7日
  • 施行: 平成元年1月8日

元号を改める政令をここに公布する。

御名御璽

昭和六十四年一月七日

内閣総理大臣 竹下 登

 

政令第一号

元号を改める政令

内閣は、元号法(昭和五十四年法律第四十三号)第一項の規定に基づき、この政令を制定する。

元号を平成に改める。

附則

この政令は、公布の日の翌日から施行する。

内閣総理大臣 竹下 登

 

 

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